鬼のいる風景 61 京都市 泉涌寺(せんにゅうじ) 天皇の位牌

鬼の栖家としての泉涌寺(せんにゅうじ)の魅力は、仏殿と舎利殿が並び、鬼面瓦をたくさん載せているだけではなく、双方とも1層東南の2の鬼にみごとな三面鬼瓦があり、2層東南に龍面瓦があることでしょう。         (京都市 泉涌寺 舎利殿東南部)

でもこの寺を有名にしているのは、天皇家の菩提寺で昭和天皇までの歴代天皇の位牌が置かれていることです。 ( 泉涌寺 舎利殿 1層東南1・2鬼 2鬼は三面鬼)

日本では、仏教は「神仏習合」という相互浸透の形で受け入れられ、天皇は仏教徒であることを利用して権力を保ちました。

ところが、明治政府が天皇神格化のために神道を利用した「神仏分離」策は、「廃仏毀釈」というめちゃくちゃな(タリバンのような)暴力を伴いました。

  (泉涌寺 仏殿 1層東南1・2鬼 2鬼は三面鬼 )         (泉涌寺 仏殿 2層東南1鬼 龍 )

自然神崇拝を柱としていた神道が、天皇を頂点とする国家神道というまったく異質な宗教になり、廃仏毀釈によって幾多の仏教文化遺産が破壊されました。               (泉涌寺 舎利殿 大棟南)       (泉涌寺 舎利殿 1層東南2鬼 三面鬼)

アジア太平洋戦争中はとくに、仏教はキリスト教などとともにいじめ抜かれ、僧侶は真っ先に召集されて戦地へ送られ、多くの寺が廃寺に追い込まれました。その難をかろうじて逃れた、鬼瓦を含む貴重な遺産を、私たちは守り抜かねばならないと思います。 (泉涌寺 舎利殿 1層東南1・2鬼 2鬼は三面鬼)          (泉涌寺 楊貴妃観音堂 東南1鬼)

そんな神道の頂点にいる天皇も、位牌を泉涌寺に納め続けているところをみると、まだ仏教徒であり続けようとしているのかもしれません。信仰の自由は誰にでもあるとはいうものの……。

鬼のいる風景 60 香川県さぬき市 志度寺

四国霊場88か所の結願に近い第86番札所です。巨大なわらじが奉納された仁王門が参詣者を圧倒します。1670年(寛文10)建立の名門で国重文、金剛力士像は阿、吽ともに運慶作といわれます。そして屋根には堂々たる鬼がいます。      (さぬき市 志度寺 仁王門 東南降り鬼)

美しい五重塔は四国霊場でわずか4か所にしかないものの一つですが、鬼瓦は比較的新しいものです。         (さぬき市 志度寺 五重塔 全景)        (さぬき市 志度寺 五重塔 1層北東)

本堂(国重文)には「これが日本の鬼瓦の代表格だ」といいたくなるような鬼が君臨しています。

(さぬき市 志度寺 本堂 大棟東)

625年(推古33)創建という古寺です。閻魔大王の化身が現れて十一面観音を彫ったのが始まりだそうです。
四国八十八か所で唯一の「奪衣婆(だつえば)堂」では鬼の口から草が伸びて、アザラシのような珍奇な鬼になっています。    (さぬき市 志度寺 奪衣婆堂 大棟 北東)

奪衣婆は閻魔大王の妻という説があり、このお堂は琰魔(えんま)堂と対になっているのでしょう。ここでは「閻魔堂」でなく「琰魔堂」と表記しています。

(さぬき市 志度寺 鐘堂 大棟北 龍)

広大な境内に、無数の鬼たちがのびのび栖んでいます。

(さぬき市 志度寺 南門 大棟東)

 

鬼のいる風景 59 京都市 東寺 五重塔の蹲踞鬼

平安京の玄関口、羅城門の両脇に迎賓館として建てられた2つの建物のうちのひとつが、のちに空海に下賜されて、弘法大師三霊場の一つになったのが東寺(教王護国寺)です。本尊は金剛薬師。
京都を舞台にしたテレビドラマではきまって、東寺の五重塔が「ここは京都ですよ」というしるしにちらりと出てきます。シンボルなのです。             (京都市 東寺 五重塔全景)

国宝の仏像がいっぱいの金堂、講堂、日本一高い五重塔などの屋根は鬼でにぎやかで、縁日に集まる人々を見守っているかのようです。               (京都市 東寺 講堂 大棟東)             (京都市 東寺 食堂 大棟東)               (東寺 金堂 1層南西1・2鬼)

毎月21日の縁日・弘法さんでは境内を人が埋め尽くすにぎやかさ。縁の欠けた茶器や硯、手垢で汚れた古雑誌、盆栽、ピカピカの衣料品から食料品まで「何でもあり」の露店の間を通り抜けるのも苦労なほどです。その雑踏から抜け出して、大黒堂などで敬虔な合掌をする人々もいます。

(東寺 大国堂 西南)

とりわけ五重塔では、初重東南の1の鬼が龍、2の鬼がなんと蹲踞鬼という、たぶん日本中に他例のないコラボレーションが見られます。
「蹲踞」ではなく「あぐら鬼」は四国八十八か所の5番地蔵寺(徳島県板野町)の奥の院・大師堂で大きく立派なものが見られます(拙著『鬼瓦お遍路―四国八十八か所写真紀行』裏表紙)が、これと酷似していて、もしかしたら同じ鬼師の作品ではないかと思われる逸品を東寺で発見したときの驚きは、たとえようもありませんでした。

(京都市 東寺 五重塔 初重東南の1の鬼が龍、2の鬼が蹲踞鬼)

(京都市 東寺 五重塔 初重東南2の鬼 蹲踞鬼)

ただし、蹲踞鬼は塔の周りの木々の葉が落ちる冬の季節にだけ姿を見せます。
国民を戦争に引きずり込もうとする安倍政権を倒そうではないかと、国民の立ち上がりを促しているかのようです。       (京都市 東寺 五重塔 初重西南1鬼)
国宝のこの塔は、4回の焼失の後の1644(寛永21)年の建築で5代目です。

 

 

鬼のいる風景 58 奈良市 薬師寺

唐招提寺のお隣は薬師寺です。近鉄西ノ京駅に近いこの古刹は、天武天皇の発願(680年)で飛鳥の地に建立され、平城遷都(710年)に伴い現在地に移されました。1528(享禄1)年には兵火で東塔を残してすべて灰燼に帰しました。             (奈良市 薬師寺 西塔 全景)

中門、金堂、講堂、西塔、玄奘三蔵院などの屋根には、平城宮ⅠA式の真新しい鬼面文鬼瓦が統一的に載せられています。鬼面のおへそは、大きな丸い金色です。

(奈良市 薬師寺 西塔 初重裳階北東)

1981(昭和56)年、西塔が453年ぶりに再興されました。金堂、中門、回廊に加えて2002(平成15)年には大講堂も復興され、白鳳伽藍がよみがえりました。
そしていま、東塔(国宝・白鳳時代)は解体修理の真っ最中で、2018年完成予定です。

笛を吹く天女が舞う東塔の相輪の水煙に惹かれて、神奈川県立津久井高校青根分校や群馬県立前橋商業高校の生徒を引率した修学旅行をはじめとして、何度か参詣しました。

(奈良市 薬師寺 金堂 全景)

        (奈良市 薬師寺 金堂 大棟西鴟尾)

2014年、久しぶりに参詣して驚きました。玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿(平山郁夫画伯の大作)も建立されるなど、薬師寺の全容はまったく変わっていて、違う寺院に来たかのようで、仰天しました。

  (奈良市 薬師寺 玄奘三蔵院山門 南西降り鬼)

鐘楼には眼の釣りあがった鬼がいます。僧坊、南門や與楽門には江戸期の形でしょうか、かなりの年代物に見える角の生えた鬼面瓦ががんばっています。                     (奈良市 薬師寺 鐘楼 大棟西)               (薬師寺 東僧房 大棟西)            (奈良市 薬師寺 與楽門 西袖)           (奈良市 薬師寺 與楽門 大棟西)

 

鬼のいる風景 57 奈良市 唐招提寺

厳粛な気持ちで、南大門をくぐります。説明の必要もない名刹です。
唐招提寺―金堂―金の鴟尾……。盲目になっても唐から6度目の航海に挑んで、ついに渡日した鑑真和上が759年に建立したというこの寺の金堂(国宝・奈良時代)の大棟の端に金色の鴟尾が載っているのは、よく知られています。            (奈良市 唐招提寺 金堂 全景)

でも、その降り棟の隅で立派な鬼面文鬼瓦がにらみをきかせていることに、ほとんどの人は気づきません。私に言わせれば、金の鴟尾をも含めて、この名刹全体を鬼たちが守っているのだと思うのですが。         (奈良市 唐招提寺 金堂 南西1鬼)         (奈良市 唐招提寺 金堂 南東1・2鬼)

講堂(奈良)と鼓楼(鎌倉)も国宝、礼堂と東室(ともに鎌倉)は重要文化財で、それぞれみごとな鬼を載せています。

        (奈良市 唐招提寺 鼓楼 南西Ⅰ鬼)

          (奈良市 唐招提寺 鐘楼 大棟東)

平城京式鬼瓦は、校倉造の宝蔵(国宝・奈良時代)の4隅に載っていて、感動的です。

(奈良市 唐招提寺 宝蔵 南西 平城京式)

隣の経蔵(国宝・奈良時代)も校倉造ですが、平城京式鬼瓦はありません。        (奈良市 唐招提寺 経蔵 切妻全景)

南大門、戒壇、鐘楼、太鼓楼、法花院、本坊、鑑真和上御廟山門など、すべての鬼どもと対話しようと思うと、まちがいなく半日はかかります。
いや、木陰に隠れている鬼どももいるので、カメラでも撮りきれないに違いありません。
    (奈良市 唐招提寺 法花院 山門 大棟東)

超一級品の鬼どもが一体何匹ここに栖(す)んでいるのか、長老(住職)さんたちにもわからないのではないでしょうか。

(奈良市 唐招提寺 礼堂 東南1鬼)

戒壇の東門には壊れ始めた龍面文鬼瓦がひっそりと載っていますが、きっと大事な役割があるのでしょう。

(奈良市 唐招提寺 戒壇 東門破風 壊れかけた龍)

金堂のそばには、会津八一(秋艸道人)の歌碑が建っています。「おおてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ」

(奈良市 唐招提寺 会津八一歌碑)

鬼のいる風景 56 下関市の功山寺仏殿

功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺。長府毛利家の菩提寺です。
仏殿は、前回掲載の海南市の善福院釈迦堂とともに鎌倉時代の禅宗様建築を代表するものとして国宝に指定されています。

(下関市 長府 功山寺 仏殿 全景)

仏殿は、柱の墨書により元応2年(1320)の建立と判明しました。建立年代の明らかなものとしても貴重です。入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き、一重裳階(もこし)付きで、方三間の建物の周囲に裳階をめぐらした形になっています。鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つこの仏殿は、わが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しています。

(下関市 長府 功山寺 仏殿 南 全景)

檜皮葺きの壮大な屋根の大棟だけは瓦。その先端で威厳のある鬼面文鬼瓦が天下を見渡している――私の大好きな風景です。

(下関市 長府 功山寺 仏殿 大棟南)

嘉暦2年(1327)、虚庵玄寂を開山として臨済宗の長福寺として創建されましたが、仏殿の建立はそれより早い元応2年(1320)です。正慶2年(1333)に後醍醐天皇の勅願寺となり、建武3年(1336)には足利尊氏から寺領が寄進されるなどして栄えました。

室町時代の弘治3年(1557)、周防大内氏最後の当主大内義長が境内で自害した後、寺は一時衰退しますが、慶長7年(1602)、長府藩主毛利秀元が笑山寺として再興、その後功山寺に改名されました。

       (下関市 長府 功山寺 山門 西全景)
鬼面文鬼瓦は仏殿、山門にあるだけです。楠や楓などがそびえる参道に続く雄大な重層の山門は、おごそかな雰囲気を与える「鬼のいる風景」です。      (下関市 長府 功山寺 山門 南西全景) 下関市 長府 功山寺 山門1層南西        (下関市 長府 功山寺 山門1層北西)        (下関市 長府 功山寺 山門2層北西)

改名前の「笑山寺」は山門だけを残していますが、鬼瓦は傷つきながらも頑張っていました。           (下関市 長府 笑山寺 山門 全景 )

(下関市 長府 笑山寺 山門 大棟南東)

幾度となく歴史の舞台になったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、高杉晋作が幕末の文久3年(1863)、わずか80人程度で挙兵した功山寺挙兵、回天義挙の地でもあります。境内には馬上の高杉晋作像があり、幕末・維新ファンなどが訪れています。

 

鬼のいる風景 55 海南市の善福院釈迦堂

和歌山県海南市下津町に天台宗善福院があります。建っているのはただ一棟だけなのですが、その釈迦堂が国宝として有名です。

1215年、栄西禅師により廣福寺五ヶ院の一つとして創建されて以来、廣福禅寺と呼ばれましたが、明治初期の廃仏毀釈を経て現在の善福院に改められました。
安土桃山時代は加茂氏の菩提寺として栄え七堂伽藍を有する大寺でしたが、いまは釈迦堂が現存するのみです。しかし釈迦堂は、鎌倉時代の禅宗様建築を代表する最古例の一つで、日本に現存する禅宗様仏殿としては、山口県下関市の功山寺仏殿とともに国宝の指定を受けています。     (和歌山県海南市 善福院釈迦堂 全景)

釈迦堂は二重仏殿で、一重裳階(もこし)付、寄棟造(よせむねづくり)、本瓦葺で、見事な鬼瓦を載せています。    (和歌山県海南市 善福院釈迦堂 1層北西)     (和歌山県海南市 善福院釈迦堂 1層北東)     (和歌山県海南市 善福院釈迦堂 2層南東)

この鬼瓦たちは、まことに豪放磊落(ごうほうらいらく)で、つい一緒に大声を出して笑いたくなります。創作した鬼師も、きっと笑いながら粘土細工に心を込めたに違いありませんね。

    (和歌山県海南市 善福院釈迦堂 2層北西)      (和歌山県海南市 善福院釈迦堂 2層北東)

堂内に安置する釈迦如来像に嘉暦2年(1327年)の銘があるので、釈迦堂の建立も同年頃とみられます。

禅宗様は鎌倉時代に大陸に渡った僧侶たちが、禅宗と共に宋から伝えた建築様式で、主に禅宗の寺院に多く用いられていたことからその名が付きました。この釈迦堂は禅宗様が伝わって間も無い頃のものであり、初期禅宗様建築として非常に貴重だそうです。いま残っている禅宗様の建築物はほとんど室町時代のものです。

次回に、ともに国宝指定されている下関市の功山寺を紹介します。

 

 

 

 

 

 

鬼のいる風景 54 京都市 妙心寺 消えた三面鬼瓦

          (京都市 妙心寺 紅葉の風景)

「普通の鐘はゴーン。ここの黄鐘調(おうじきちょう)の鐘は高い音程でコーン」。新婚旅行時に妻と初参詣したとき、住職夫人がアルトとソプラノを使い分けて説明してくださった口調が今でも耳に焼きついているのが、ここ妙心寺です。
臨済宗妙心寺派大本山で、日本にある臨済宗寺院約6,000寺のうち、約3,500寺が妙心寺派です。           (京都市 妙心寺 黄葉の風景)

梵鐘は国宝で、698年にあたる戊戌(つちのえいぬ)の銘文がある、日本最古の紀年銘鐘です。九州筑紫で制作されたもので、大宰府の観世音寺と兄弟鐘。妙心寺には法堂の北西と仏殿の南東に鐘楼がありますが、前者の鐘楼にかかっていました(現在は法堂で保存)。音色が雅楽十二律の黄鐘に合うところから古来「黄鐘調の鐘」として有名で、『徒然草』にも「およそ鐘の音は黄鐘調なるべし」と書かれています。 (京都市 妙心寺 旧鐘楼全景 2001.11.14撮影)

その鐘楼に、間違いなく三面鬼瓦がありました。そしてこの写真を玉田芳蔵氏が「珍しい」として『続・鬼瓦 ルーツを尋ねて』に載せてくださいました(2009年5月刊、東京書籍)。ところが、その後いつの間にか、この鐘楼はなくなって建て替えられ、したがってこの三面鬼瓦も消えてしまいました。残念至極ですが、証拠写真としてこの際、掲載しておきます。  (京都市 妙心寺 旧鐘楼三面鬼瓦 2001.11.14撮影)

鬼面文鬼瓦は実に豊かです。山門に始まり、三門、庫裏にはもちろん、塔頭のいくつかにも鬼たちが棲みついています。私のお勧めする「鬼瓦探し特選コース」の中心です。同時に、ここには見事な龍面文鬼瓦がいくつもあって、教科書に載せたいようです。   (京都市 妙心寺 三門1層東南 龍面文鬼瓦)

(京都市 妙心寺 仏殿 東南 龍面文鬼瓦)    (京都市 妙心寺 法堂 東南 龍面文鬼瓦)            (京都市 妙心寺 山門 大棟西)

近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれています。妙心寺の塔頭は48に及び、うち山内塔頭38、境外塔頭は石庭で著名な龍安寺を含め10を数えます。           (京都市 妙心寺 仏殿 大棟東)

応仁の乱で竜安寺とともに妙心寺も灰燼に帰しましたが、11年後の1478(文明10)年には復興し、いまでもいわゆる七堂伽藍が整っている貴重な存在です。

鬼のいる風景 53 熊谷市の歓喜院・妻沼聖天山

歓喜院(かんぎいん)は、埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)にある真言宗の寺院。正式には妻沼聖天山(めぬましょうでんざん )長楽寺で、日本三大聖天の一つとされます。
ここへ行くには、熊谷駅(高崎線・埼玉県)と太田駅(東武線・群馬県)を結ぶ朝日バスに乗るか、熊谷市が運行するゆうゆうバス(コミュニティバス)に乗るかで、共通の停留所「妻沼聖天前」で降りるのがいいでしょう。

(熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 貴惣門)

重要文化財(国指定)の貴惣門 は特異な形式の門で、高さ18mの銅板葺きの八脚門。屋根を上下二重とし、下重は前後に2つの切妻屋根を架け、側面から見ると3つの破風をもっています。持国天、多聞天がにらみを利かせています。残念なことに鬼は不在です。       (熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 ガラクタ市)

「埼玉の小日光」とか「(妻沼の)聖天様」などと呼ばれ、境内はフリーマーケットでにぎわっています。まさに「ガラクタ」という以外にないものと並んで、能面なども出品されていて、楽しい風景です。

  (熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 ガラクタ市 能面)

現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて再建されたもの。平成15年(2003年)から平成23年(2011年)まで本殿の修復工事が行われ、2012年(平成24)に聖天堂(本殿)は国宝に指定されました。本殿にも鬼面文鬼瓦はありません。

(熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 本殿)

それでも本坊と鐘楼には、堂々たる鬼面文鬼瓦があたりを睥睨しています。         (熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 鐘楼)    (熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 鐘楼 大棟南)  

(熊谷市 妻沼聖天山歓喜院 本坊 金剛院 庫裏 大棟東)

お天気が急変する中での逆光撮影に苦労させられました。

鬼のいる風景 52 香川県観音寺市 若々しい一心寺

「一心寺」の名の寺院はネット検索で全国に9か所ほど出てきますが、そのうち大阪市天王寺区の一心寺が法然上人がつくったものとして有名なようです。

観音寺市の一心寺は、四国88か所霊場の68番神恵院=69番観音寺を参詣し、南を流れる財田川を渡ると、薬師寺、恵念寺、盛福寺、光明寺などのある市街地にあります。

(香川県観音寺市 一心寺 鐘楼全景)

(香川県観音寺市 一心寺 鐘楼大棟西)

浄土真宗の寺院となった時期は明確ではないといいますが、激しく傷んでいた伽藍も平成年間になってから修復され、往時の姿を取り戻して「元気いっぱい」の姿を見せています。

        (香川県観音寺市 一心寺 鐘楼西部)

七百年あまり前、天台宗寺院として創建されたと伝わ りますが、天文十七年(1548)には観音寺城主香川景全の崇敬鎮守のため七堂伽藍が建立されました。その後、土佐の長曽我部氏の兵火にあいましたが、山門に観音寺城の城門(現存)が移築されるなど寺宇を保ち、また、寛政年間には失火の災害を蒙りましたが天保四年(1833)に大修理が行われました。       (香川県観音寺市 一心寺 山門袖塀東)

(香川県観音寺市 一心寺 山門袖塀西)

古刹とか名刹とかと呼ぶのにはふさわしくありませんが、山門の袖塀の年取った鬼も鐘楼の新しい鬼も参詣者を励ましてくれるような気がする、素敵な若々しいお寺です。

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