鬼さんこちら 6 愛知県一宮市 蓮照寺

蓮照寺(れんしょうじ)は名鉄尾西線「観音寺」駅より徒歩8分。1584年(天正12)開山の古刹です。           (愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂)        (愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂 大棟)

旧本堂のこの写真は2009年11月撮影ですが、1756年(宝暦6年)に建立された建物で、平成26年7月に解体されてしまいました。みごとな鬼たちでしたが、残念です。     (愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂 大棟 東 )

巡見街道とは、江戸時代に幕府が諸国大名の監視と情勢調査のために派遣する巡見使が通った街道をさし、この尾張近辺では、名古屋へ向かう古往還で、角を示す当時の石碑が今も残っています。    (愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂 客殿正面)      (愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂 東南1鬼)

現在の尾西線観音寺駅までの集落・苅安賀では、お寺が今でも街道沿いに多くあります。わずかに格子戸のある家や白壁造りの土蔵が残っている家もみられ、その面影を感じることができます。   (愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂 南西1.2鬼 )

(愛知県 一宮市 蓮照寺 本堂 南西1鬼)

織田家の拠点の苅安賀城を背景に、尾張地方でも代表的な集落でした。江戸初期の文書によると当時の苅安賀村の家数は384戸、人口1,541人に対し寺院数14。一方、一宮村は490戸、2,935人に対し寺院数14だったそうです。この人口に対する寺院の多さが苅安賀の古くからの繁栄と信仰厚い土地柄を示しています。

 

鬼さんこちら 5 愛知県名古屋市 誓願寺(せいがんじ) 頼朝の生誕地

名古屋市熱田区の誓願寺(せいがんじ)は浄土宗の寺院。源頼朝の生誕地としても知られます。
でも、私にとっては、技術的に水準の高い見事な造作の鬼面文鬼瓦の数々が、とても魅力的で、見過ごすことのできない「鬼の栖み家」です。なのに、残念ながら、次の出版予定の『写真集 鬼の栖む風景 百景』からは、こぼれてしまいました。       (愛知県 一宮市 誓願寺 鐘楼 全景 )     (愛知県 一宮市 誓願寺 鐘楼 大棟南 )

平安時代末期、源義朝の正室となった藤原季範の娘由良御前は身ごもって熱田の実家に帰り、この別邸で頼朝を生んだといわれます。       (愛知県 一宮市 誓願寺 鐘楼 南西)        (愛知県 一宮市 誓願寺 鐘楼 南東 )

きよめ茶屋のあった位置に、平清盛へ幼い頼朝の助命を嘆願した池禅尼の「池殿屋敷」があったと伝えられています。   (愛知県 一宮市 誓願寺 大門(山門)大棟南 )

豊臣秀頼の命で再建され、代々の尾張藩により信仰されてきました。また、松尾芭蕉も熱田神宮訪問の際、自ら言い出して熱田にある景清社と誓願寺に訪れたといいます。       (愛知県 一宮市 誓願寺 本堂 全景)

1945年(昭和20)の米軍空襲により、誓願寺は本堂などが炎上し焼失。源頼朝誕生地である樹木に囲まれた頼朝祠や頼朝公産湯ノ井戸がありましたが、やはり空襲で破壊され焼失しました。      (愛知県 一宮市 誓願寺 本堂 大棟南 )

頼朝(1147~99)は義朝の三男、熱田神宮の宮司(藤原季範)の娘由良御前を母として生まれました。母の実家の身分が高かったことにより、頼朝は早くから源家の嫡子として育てられます。       (愛知県 一宮市 誓願寺 本堂 南西)

熱田神宮西門向い側の誓願寺付近一帯は、平安時代末から鎌倉時代まで熱田大宮司家の下屋敷があり、邸内にあった池の水を汲んで頼朝の産湯に用いたと伝えられています。

(愛知県 一宮市 誓願寺 本堂南東1鬼)

戦後同寺が再建された時、頼朝誕生の伝承を惜しむ人々によって池跡に源頼朝公産湯ノ井戸が設けられたものです。
当時大宮司家の人々は、実務を権宮司家の尾張氏に任せ都に住んで官人として生活していましたから、源頼朝の出生地については京都と考える方が自然のようですが、熱田説、京都説どちらとも断定はできないようです。

 

鬼さんこちら 4 愛知県一宮市 地蔵寺 開放的な寺

一宮市本町通り8丁目の寺。境内には塀がなく、西側と東側に門があり、市民が気軽に通り抜けたりできるようになっていて、開放的なお寺です。本殿、客殿、山門(八脚門)、鐘堂などに、鬼たちが棲みついています。    (愛知県 一宮市 地蔵寺 客殿 右は本殿 )     (愛知県 一宮市 地蔵寺 本殿 大棟西)           (愛知県 一宮市 地蔵寺 山門 )       (愛知県 一宮市 地蔵寺 山門 南東 )  (愛知県 一宮市 地蔵寺 山門 南東降りオニ )       (愛知県 一宮市 地蔵寺 山門 南西 )      (愛知県 一宮市 地蔵寺 山門 大棟西)                 (愛知県一宮市 地蔵寺 鐘堂)     (愛知県 一宮市 地蔵寺 鐘堂 大棟南)

真言宗豊山派に属し、本尊は延命地蔵菩薩、創建は700年代前期で、開基は聖武天皇、開山は行基菩薩と伝えられるから、最古級の寺院ですが、詳細はわかりません。東海三十六不動尊霊場第3番礼所とされています。

鬼さんこちら 3 愛知県あま市 光明寺 秀吉ゆかり?

愛知県の西部、あま市の寺院といえば、甚目寺が有名ですが、名古屋から名鉄に乗ってひとつ手前の須ケ口駅で下車し、田舎道を15分ほど歩くと、光明寺がきれいな鐘楼門で迎えてくれます。             (あま市  光明寺 鐘楼門 )

屋根には大きな鯱を伴った鬼がいます。鯱が箱状のものに乗っているのがとても珍しい。          (あま市 光明寺 鐘楼門 大棟南)

この地域の歴史は古く、寺社や史跡が散在しています。戦国時代に活躍した武将である蜂須賀小六正勝、福島正則をはじめ、7人もの大名を輩出した歴史のまちとしても知られています。

(あま市 光明寺 鐘楼門 大棟北)

『太閤素性記』などは、豊臣秀吉が幼少の頃に預けられたと伝えています。
7歳で父と死別した秀吉は、8歳で光明寺に入りますが、すぐに飛び出し、15歳の時、亡父の遺産の一部(永楽銭1枚)をもらい放浪にでたたことになっています。

秀吉が関白になり、小田原の北条氏を降した凱旋の途中でこの光明寺に立ち寄ったところ、光明寺は天下人となった秀吉を大いにもてなします。この時、秀吉が『自分が源氏か平氏の子孫だという系図を作ってほしい』と光明寺に頼みます。さすがに秀吉の氏素性を知っている光明寺だけに、これを断りますが、このため、怒った秀吉にとり潰されてしまったというのです。真偽のほどは……。

鬼さんこちら 2 和歌山県 紀の川市 粉河寺 鬼瓦の祖先のキールティ・ムカ

これ、鬼なのでしょうか。こんな格好の鬼瓦、ご覧になったことがありますか。         (紀の川市 粉河寺 中門正面 破風)

ビックリさせられたのは中門(江戸時代、重文)の正面、唐破風の上にどっしり構えている鬼面の鬼瓦。角はなく、ちょっとお茶目な目つきでこちらを見つめ、柵様の瓦板を両手でつかんで噛みついているのです。その歯と指のすごさ。こんな鬼の瓦は、全く初めてです。

(紀の川市 粉河寺 中門)

実は、これとそっくりな木造の彫刻で飾られているものものがあります。それが、前回、益田市の医王寺で紹介した「獅噛み(しがみ)」です。民俗意匠とでもいえるのでしょうか、お祭りで練り歩く山車(だんじり)の屋根を飾っていたりします。古墳から出土する刀の柄に彫られている例も多くあります。獅子が何かを両手でつかみかかり「噛みついている」形なので「獅噛み」と言われます。

しかし、この大元は、噛みついているのではなく「吐き出している」らしいのです。立川武蔵著『聖なる幻獣』(集英社新書ヴィジュアル版)で教わりました。幻獣の名はキールティ・ムカ、古代インドのサンスクリット語で「誉れの顔」。世の中の良いものを、いや世の中のすべてのものを、生み出し、吐き出す「聖獣」なのだそうです。そして、これこそが、日本の鬼瓦の祖先らしいのです。(拙著『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』参照)

              (紀の川市 粉河寺 大門)

紀の川市の粉河寺(こかわでら)は厄除観音。770(宝亀1)開創で、鎌倉時代には七堂伽藍、550ケ坊、東西南北とも4キロの境内で寺領4万石というすごいお寺でしたが、豊臣秀吉の兵乱でほとんど焼失。江戸時代中期に紀州徳川家の保護や信徒の寄進で再興されたといいます。        (紀の川市 粉河寺 大門 南西降り鬼 )

巨大な大門や本堂にも、千手堂、六角堂、不動堂にも愛すべき鬼たちががんばっていました。              (紀の川市 粉河寺 本堂)     (紀の川市 粉河寺 本堂 1層南西降り鬼 )

本堂の飾り瓦に優れた造型の龍がありました。  (紀の川市 粉河寺 本堂 正面東 飾り瓦 竜)

思いがけなくも本堂内陣に閻魔大王がいました。鬼たちを家来にして人間をいじめているという閻魔にはなかなか会えないものです。これまでに、中国長江の鬼城、愛媛県松山市の石手寺などでの対面が印象に残っています。        (紀の川市 粉河寺 本堂内陣 閻魔像)

(紀の川市 粉河寺 千手堂 南西1鬼)

「鬼さん、こんにちは」と声をかけて歩くと、こんもり茂った林の奥からも返事が返ってくるような気がします。

 

 

 

 

 

鬼さんこちら 1 島根県 益田市 医光寺 獅噛みつく

室町時代の禅僧、画僧(1420−1506)の雪舟が住職として招かれたお寺として知られている医光寺は、国指定の史跡・名勝の「雪舟庭園」で有名です。鶴を形どった池の中に亀島が浮かび、春にはしだれ桜や一面のつつじ、夏は緑が涼しく、秋には大きな楓が赤く染まり、冬は真っ白な雪。四季折々の違った表情を味わうことができる名園として人気があります。

(島根県益田市  医光寺 総門)

本堂・開山堂・総門・中門など現在の諸堂宇は、1729年(享保14)の大火後、創建されたものです。

総門は、勇壮豪快な作りで、もと益田城の大手門を、関ケ原の戦い後ここに移し、承応年間(1652〜55)黄檗宗寺院特有の竜宮造りに改築したといいます。

    (島根県益田市  医光寺 総門 大棟東)          (島根県益田市  医光寺 総門 東)

雪舟は備中国(岡山県)赤浜(総社市)に生まれ、幼時、宝福寺で涙のネズミを足指で描いた話は有名です。石見にとどまったのは、数年の短い期間でしたが、境内に雪舟を火葬にしたという灰塚があります。      (島根県益田市  医光寺 総門 東下段)

大敷台と表示された建物に、見慣れない鬼瓦が載っています。  (島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)全景)(島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)大棟南)

大棟南の鬼瓦は下に鳥(多分鳳凰)を従えて天下をにらんでいて、手はないようです。 (島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)大棟南)

ところが、東南の鬼瓦は、両手を前に出しているところを見ると、これは「しがみつき鬼」に違いありません。  (島根県益田市  医光寺 大敷台(大玄関)東南)

南西の鬼瓦にも、手があるようです。

(島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)南西)

「しがみつく」の語源は「獅噛み」(しがみ。獅子の頭部を模様化したもの。兜 (かぶと) の目庇 (まびさし) の上や鎧 (よろい) の肩、火鉢の脚、だんじり(山車)の屋根飾りなどの装飾に用いられているもの)です。

これこそ鬼面文鬼瓦の祖先と思われるキールティ・ムカ(サンスクリット語で「誉れの顔」)ではないでしょうか。制作した鬼師がどこまで承知していたかは、別です。(拙著『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』参照)

こんな現代彫刻風の鬼瓦も載っています。

(島根県益田市  医光寺 本堂 大棟 東)

なお、「敷台(式台)」とは、武家屋敷で、表座敷に接続し、家来の控える部屋。中世では日常の住宅の出入口をさしました。室町時代から江戸時代の初めにかけて玄関が普及すると,主殿あるいは大広間と、遠侍(とおざむらい)あるいは玄関との間にあって、取次ぎの儀礼が行われる場所をさしました。

獅噛み(しがみ)鬼瓦の典型を、次回、ご紹介します。

鬼さんこちら 手の鳴る方へ 鬼はみんな手をつなごう

「鬼のいる風景」を61回、連載しましたが、これらのほとんどは新著『写真集 鬼の栖む風景 百景』に収録される予定です。

『写真集 鬼の栖む風景 百景』は、①「風景」としてまあ見られる写真が撮れた所で、②さらに7コマ以上の鬼瓦写真が揃えられる所、③しかも若干のお話、説明が書ける所を、私の引き出しから出したものになります。この条件に合わないところは「失格」となるのが、この写真集です。

これまで、1昨年、『鬼瓦お遍路―四国霊場88か所写真紀行』(幻冬舎ルネッサンス)を出版して、日本の鬼瓦のうち四国を紹介し、4県についてだけは「鬼瓦総覧」といってもよいほどたくさんの鬼瓦と仲良くなれました。
本年3月に出版した『鬼瓦のルーツ 写真紀行 韓国、中国、カンボジア』(本の泉社)に掲載できたのは、圧倒的に韓国の鬼瓦で、日本の鬼瓦はほんの少しでした。
でも、私の引き出しにため込んである写真のうち90%は日本の鬼瓦ですから、彼らのほとんどが陽の目を見ないままでは可哀そうだと、悩んできました。

そこで、ルネッサンス・アイ社のお勧めに応じて、ガンの進行との最後の競争を決心し『写真集 鬼の栖む風景 百景』を出すことにし、3日前に脱稿しました。私の寿命との競争ですが、2か月後、多分7月初旬には世に出るでしょう。百か所の鬼たち、700~800コマが掲載されます。
しかし、それでも全国的には「失格」が圧倒的です。

そこで、多分「最後のチャンス」として「失格」鬼のうちのかなりのものを「合格」させ、陽の光を当てようとするのが、新設の「鬼さんこちら」コーナーです。

私の撮影した日本中の鬼瓦はほとんど、未整理の古都・京都を除いては、都府県別のフォルダでこのHPに掲載済みですが、「多すぎて目がチラチラする」「似たような鬼が並んでいるだけ」「やっぱり説明が欲しい」などの声を頂いています。ごもっともです。この不十分さを補いながら、私の3冊の本から落ちこぼれた鬼瓦たちに「鬼さんこちら」と呼びかけて集まってもらうコーナーにします。

安倍・自公政権の「ボロボロになりながらの暴走」に対し、時には怒り、時には大声で笑い飛ばし、叱りつけ、退場を迫るためにも、そして本当に戦争のない世界をつくるためにも、「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」と鬼の大結集を呼びかける気持ちを込めます。

明日から始めます。どこまで続くか、わかりませんが、ご期待くださいますように。

富山弘毅 onioni39@jcom.home.ne.jp

 

『鬼の栖む風景 百景』出版準備中

『鬼の栖む風景 百景』(仮題)の出版を準備中です。残っている命でやりきれるかどうか、判然としません。このところ、体調がかなり激しく変化して、足が異常にむくんだり、深夜眠れなくなったり、呼吸がひどく苦しくなって酸素吸入器のお世話になる時間が増えたり、していますので、予測が全くつかないのです。
でも、パソコンに向かっていられるだけでも、「終末緩和ケア」に感謝です。抗がん剤の副作用とたたかっていれば、とても出版なんてできません。

120景ほどの原稿を作って、出版社の編集専門家などに100景を選んでもらうことにしたいと、すでに112景まで、書きました。自分で見ても、つまらない風景もあるし、内容は面白いのだけど写真がイマイチのところもあります。素晴らしい風景なのだが、30年前にSSSカラーフィルムでやっと撮った、画素数の少ない写真もあります。結構、選ぶのは難しい。

そのつもりで取材して回ったわけではなく、手持ちの写真の中から、拾い出しているのです。
韓国の鬼や龍は『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』でたくさん紹介しましたが、特に日本の鬼瓦は四国を別にしてほとんど未紹介で、かわいそうなのです。

そんなわけで、このHPの「鬼のいる風景」をサボっていて申し訳ありませんが、ご理解のほどを。

onioni39@jcom.home.ne.jp   富山弘毅

 

『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』 しんぶん赤旗 紹介記事

4月23日付の「日刊 しんぶん赤旗」読書欄で、紹介されました。未知の方から「送ってほしい」とのご注文をいただきましたが、著者である私は販売を一切しておりませんので、恐縮ですが一般書店にご注文くださいと、お願いしました。

ご意見ご感想などは、メールでぜひ。
onioni39@jcom.home.ne.jp

『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』の紹介記事 上毛新聞

3月に出版した『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』(ルネッサンス・アイ発行、本の泉社発売)の紹介記事が、今日2017年4月22日付の上毛新聞に掲載されました。4月21日には 広告も載りました。

近く、「日刊新聞・赤旗」読書欄で紹介される予定です。

また読売新聞にも広告が載る予定です。

書店でお求めいただければ幸いです。電子書籍にも登録してあります。このトップページの本の画像をクリックすれば、電子書籍につながります。

 

鬼瓦写真集と紹介記事のサイトです