奈良 明日香村 橘寺の鬼瓦

聖徳太子誕生の地に、太子によって建立されたとされる寺です。
この地には欽明天皇の別宮・橘の宮があり、天皇の孫に当たる聖徳太子が572年、ここで生まれたそうです。そして推古天皇の命により、太子が御殿を改造して建立したのが橘樹寺だそうです。
66棟の堂宇がありましたが、1148年に落雷で五重塔が焼失、1506年には兵火でほとんどが焼かれ、江戸時代には僧舎1棟だけになったそうです。現在の堂宇は1864(元治1)年に再建されたものです。

東門から境内に入ると、すぐ右手に本坊があり、観音堂、護摩堂と続きます。左手には鐘楼、五重塔址、経堂が並びます。それらを見て進むと正面が本堂です。往生院や聖倉殿は境内の南です。
それぞれに素敵な鬼面文鬼瓦があります。経蔵の素朴な感じの鬼面瓦には「昭和四十七年」と彫られています。
本坊山門の大棟東の大きな鬼面瓦の前に小さな鬼面があります。とても珍しいものです。鬼瓦の子か、子分か、仲間かと、不思議に思っていたのですが、これこそ、古代インドのキールティ・ムカ(サンスクリット語で「誉れの顔」)という、鬼瓦の祖先だろうと思うようになりました。
キールティ・ムカについては、別項で詳しく紹介するつもりです。奈良県高取町の壺阪寺の項の仏像の腹にあるキールティ・ムカも参照してください。

地名「橘」は田道間守の伝説に由来します。日本書紀によると、11代垂仁天皇の命で不老長寿の薬を求めにトコヨの国(中国雲南省か)へ出かけた田道間守が10年間の苦労の末、秘薬トキジクノカグノコノミを持ち帰り、この地に蒔いて芽を出したのがミカンの原種・橘だったというのです。

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