奈良 王寺町 達磨寺

『日本書紀』の片岡山飢人伝説によると、推古天皇21年(613)、聖徳太子が道端で飢えていた人を見つけ、食べ物や衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くなりました。悲しんだ太子は墓をつくり厚く葬りましたが、数日後に確認させてみると、遺体が消え、衣服だけがきちんとたたまれて棺の上に置かれていました。里人たちは、あの人は達磨禅師の生まれ変わりに違いないと言い、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが寺の始まりだといいます。
境内には6世紀頃の古墳が3基あり、このうちの3号墳の上に本堂が建てられています。この古墳は平安時代には聖徳太子ゆかりの達磨禅師の塚であると信じられていたらしく、鎌倉時代にその上にお堂が建てられ、本尊として堂内に聖徳太子像と達磨大師像が安置されました。

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