和歌山 九度山町 慈尊院の鬼瓦

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)をまとめたものです。これが2004年7月7日、世界遺産(文化遺産)に登録されました。その一部に、この慈尊院が入っています。また慈尊院弥勒堂(ご廟)は1965年(昭和40年)5月29日、国の重要文化財(建造物)に指定されています。
慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所としたのだそうです。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公玉依御前が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制で、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしていました。弘法大師は月に九度(9回)、高野山から母上に会いに来られました。そこでこの地は九度山(くどやま)と呼ばれるようになったと言います。  九度山町から高野山へと続く約21キロの道には、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残っています。歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。
女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って、珍しい乳房型の絵馬を奉納する女性が多く訪れます。有吉佐和子著「紀の川」で紹介されたことから特に有名になり、乳がんに苦しむ人々の参詣が増えているそうです。乳房型の大小の絵馬をじっくりご覧ください。
慈尊院の美しい多宝塔は県の指定文化財です。本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。ただし、鬼面文鬼瓦はありません。
慈尊院の隣の民家にあった鬼面文鬼瓦は、和歌山県の民家の鬼瓦の項に掲載しました。

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