加古川市 鶴林寺の鬼瓦

名刹・鶴林寺ほど、鬼瓦の力作がそろっている寺院は、めったにありません。
鐘楼の鬼はそれぞれ独特なおでこをしていますが、特に大棟南の鬼は宝玉を2個、つけているかのようです。
護摩堂南西の降り鬼のおでこには経の巻物三巻があって、とても珍しい。観音堂の軒丸瓦には「南無阿弥陀仏」の文字が彫られています。
本堂の南西降り鬼と南東降り鬼には、角が4本あります。本堂の他の鬼瓦の角は4本に見えますが髪だろうと思われます。

三重塔の初重南西1鬼は見事な三面鬼瓦ですが、疑問があって(世界鬼学会会へのに寄稿文で紹介したところ、編集部から指摘されて)、次のような質問をEメールでしました。
Q ①この三面鬼瓦に彫り込んである「宝延」という年号は存在しないのではないか。「延宝」の間違いだとしても「延宝二」年は「巳年」ではなく寅年で、つじ つまが合わないのではないか。
Q ②寛延(かんえん)2年(1749)なら巳年。鬼師の彫り間違いだったのか。

さっそく住職さんから、下記のような返事がきました。
拙寺の三重の塔は室町年間の建築ですが、当初の三面鬼瓦と思われます。 古瓦は収蔵室に眠っております。木箱の裏書には鳥仏師の作風を汲む、すごく出来栄えのいい瓦がかつては屋根に上がっていた…云々から始まる記文があり、江戸時代文化年間に増瀬某なる人物が、由緒ある瓦の傷みを嘆き新たな瓦に取り替えたという文面が続きます。
文化年間には塔の大規模な修繕が行われており、延宝年間にも塔に隣接する堂宇が建てられています。写真に写っている鬼瓦は文化年間の修繕当時の物と思われます。
年号については私見ですが「延宝」の間違いであろうと存じます。寅と巳の違いも何とも説明がつきません。
文化年間の修繕の際にさらに百何十年か遡って、塔に隣接する新薬師堂の建立年(延宝)を記す理由も思い当たりません。
しかし写真や実物を下から見た感じでは件の瓦は文化年間頃の瓦と見ていいと思います。
因みに「安田吉太夫」は門前の安田村の屋号で、代々当山の修正会にて「鬼追い」の行事を司る人物、家門を指します。
こんなことでご質問の答になっているか甚だ心もとないのですが、お許しください。なお、元来の古鬼瓦には側面にも裏面にも文字は入っておらず、塔の創建当時の室町時代の物であるといわれています。     鶴林寺住職 茂渡俊慶

ご丁寧なお返事、ありがとうございました。でも、結局は、正確なところはわからないということ。年号は気にしないで、三面鬼と仲良くしましょう。

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