鬼さんこちら 12 熊本市 本妙寺 加藤清正の廟所

熊本城北西にある本妙寺(ほんみょうじ)は、肥後熊本藩の初代藩主・加藤清正を祀る浄池廟(じょうちびょう)があることで知られています。長い石段を登ると清正の銅像がありますが、熊本地震で損壊しました。               (熊本市 本妙寺 法皇閣 北正面)

巨大な仁王門は鉄筋コンクリート造です。門をくぐると桜並木の長い参道が続き、両側に12の塔頭が並んでいます。              (熊本市 本妙寺 法皇閣 1層北西)

参道を進むと右手に本妙寺の大本堂(勅願道場)があり、その先には胸突雁木(むなつきがんぎ)と呼ばれる急勾配の石段があり、多数の石灯籠が並んでいます。              (熊本市 本妙寺 法皇閣 1層南西)

毎年清正の命日である7月24日の前夜、僧侶や信者が写経した法華経を奉納する頓写会(とんしゃえ)が行われ、10万人といわれるの参拝者で賑わいます。

(熊本市 本妙寺 法皇閣 1層南東)

1585年(天正13)、加藤清正の父・清忠の冥福を祈るため、大阪に開創された寺です。1611年に清正が没し、遺言により中尾山上の浄池廟に清正像を建て、1614年(慶長19)、火災で焼失した本妙寺を浄池廟下の現在地に移転しました。

(熊本市 本妙寺 太地院 本堂 大棟西)

明治時代の神仏分離令によって浄池廟と本妙寺は神社と寺として分けられ、1871年(明治4)に社殿だけが熊本城内に移され、加藤神社となりました。その後、西南戦争で焼失した大本堂と同時に浄池廟の建物も再建され(明治27年)、現在の姿になりました。

(熊本市 本妙寺 延寿院 山門)

熊本地震によって鉄筋コンクリートの仁王門も地震で全体に傾きが生じ、門柱にも亀裂が入り、「立ち入り禁止で、門をくぐることはできない」と伝えられました。石段沿いの墓地の墓石や、胸突雁木に並ぶ石灯籠などの大半は倒壊し、無残な姿を見せている」と報じられましたが、その後の復旧は進んでいるでしょうか。
鬼たちも心配しながら見守っていることでしょう。

           (熊本市 本妙寺 延寿院 山門 大棟西)

加藤清正の軍隊は2度にわたって朝鮮半島を侵略しました。天皇の血筋が百済にあることに始まり、大和朝廷以来の長く深い日本と朝鮮との親戚関係をぶち壊す、ひどい侵略でした。この侵略に抵抗した朝鮮の人々は、寺院を拠点にして戦いました。そのため、朝鮮半島の寺院は清正軍にとことん狙い撃ちにされ、ほとんど壊滅しましたから、したがって、貴重な文化遺産、特に鬼瓦は、みんな粉々になりました。
私は7回、訪韓して、鬼瓦の祖先を尋ねて踏査しましたが、どこへ行っても「日本軍が壊しました。申し訳ありませんでした」と、誤りっぱなしでした。

加藤清正は、鬼瓦にとっても許しがたい破壊者の親分でしたね。

(熊本市 本妙寺 延寿院 山門 南東降り鬼)

韓国の人々はいま、やっと「残っている」と言えるかどうかのわずかな文化財をも、とても大切にして、保存、普及、活用に力を入れています。韓国の国立博物館が、外国人も含めてすべて「入館無料」だというのも、文化を日本よりはるかに大切にする政治を行っている証拠の一つではないでしょうか。

お隣りから学ばなければいけませんね。