鬼さんこちら 2 和歌山県 紀の川市 粉河寺 鬼瓦の祖先のキールティ・ムカ

これ、鬼なのでしょうか。こんな格好の鬼瓦、ご覧になったことがありますか。         (紀の川市 粉河寺 中門正面 破風)

ビックリさせられたのは中門(江戸時代、重文)の正面、唐破風の上にどっしり構えている鬼面の鬼瓦。角はなく、ちょっとお茶目な目つきでこちらを見つめ、柵様の瓦板を両手でつかんで噛みついているのです。その歯と指のすごさ。こんな鬼の瓦は、全く初めてです。

(紀の川市 粉河寺 中門)

実は、これとそっくりな木造の彫刻で飾られているものものがあります。それが、前回、益田市の医王寺で紹介した「獅噛み(しがみ)」です。民俗意匠とでもいえるのでしょうか、お祭りで練り歩く山車(だんじり)の屋根を飾っていたりします。古墳から出土する刀の柄に彫られている例も多くあります。獅子が何かを両手でつかみかかり「噛みついている」形なので「獅噛み」と言われます。

しかし、この大元は、噛みついているのではなく「吐き出している」らしいのです。立川武蔵著『聖なる幻獣』(集英社新書ヴィジュアル版)で教わりました。幻獣の名はキールティ・ムカ、古代インドのサンスクリット語で「誉れの顔」。世の中の良いものを、いや世の中のすべてのものを、生み出し、吐き出す「聖獣」なのだそうです。そして、これこそが、日本の鬼瓦の祖先らしいのです。(拙著『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』参照)

              (紀の川市 粉河寺 大門)

紀の川市の粉河寺(こかわでら)は厄除観音。770(宝亀1)開創で、鎌倉時代には七堂伽藍、550ケ坊、東西南北とも4キロの境内で寺領4万石というすごいお寺でしたが、豊臣秀吉の兵乱でほとんど焼失。江戸時代中期に紀州徳川家の保護や信徒の寄進で再興されたといいます。        (紀の川市 粉河寺 大門 南西降り鬼 )

巨大な大門や本堂にも、千手堂、六角堂、不動堂にも愛すべき鬼たちががんばっていました。              (紀の川市 粉河寺 本堂)     (紀の川市 粉河寺 本堂 1層南西降り鬼 )

本堂の飾り瓦に優れた造型の龍がありました。  (紀の川市 粉河寺 本堂 正面東 飾り瓦 竜)

思いがけなくも本堂内陣に閻魔大王がいました。鬼たちを家来にして人間をいじめているという閻魔にはなかなか会えないものです。これまでに、中国長江の鬼城、愛媛県松山市の石手寺などでの対面が印象に残っています。        (紀の川市 粉河寺 本堂内陣 閻魔像)

(紀の川市 粉河寺 千手堂 南西1鬼)

「鬼さん、こんにちは」と声をかけて歩くと、こんもり茂った林の奥からも返事が返ってくるような気がします。