鬼さんこちら 1 島根県 益田市 医光寺 獅噛みつく

室町時代の禅僧、画僧(1420−1506)の雪舟が住職として招かれたお寺として知られている医光寺は、国指定の史跡・名勝の「雪舟庭園」で有名です。鶴を形どった池の中に亀島が浮かび、春にはしだれ桜や一面のつつじ、夏は緑が涼しく、秋には大きな楓が赤く染まり、冬は真っ白な雪。四季折々の違った表情を味わうことができる名園として人気があります。

(島根県益田市  医光寺 総門)

本堂・開山堂・総門・中門など現在の諸堂宇は、1729年(享保14)の大火後、創建されたものです。

総門は、勇壮豪快な作りで、もと益田城の大手門を、関ケ原の戦い後ここに移し、承応年間(1652〜55)黄檗宗寺院特有の竜宮造りに改築したといいます。

    (島根県益田市  医光寺 総門 大棟東)          (島根県益田市  医光寺 総門 東)

雪舟は備中国(岡山県)赤浜(総社市)に生まれ、幼時、宝福寺で涙のネズミを足指で描いた話は有名です。石見にとどまったのは、数年の短い期間でしたが、境内に雪舟を火葬にしたという灰塚があります。      (島根県益田市  医光寺 総門 東下段)

大敷台と表示された建物に、見慣れない鬼瓦が載っています。  (島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)全景)(島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)大棟南)

大棟南の鬼瓦は下に鳥(多分鳳凰)を従えて天下をにらんでいて、手はないようです。 (島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)大棟南)

ところが、東南の鬼瓦は、両手を前に出しているところを見ると、これは「しがみつき鬼」に違いありません。  (島根県益田市  医光寺 大敷台(大玄関)東南)

南西の鬼瓦にも、手があるようです。

(島根県益田市 医光寺 大敷台(大玄関)南西)

「しがみつく」の語源は「獅噛み」(しがみ。獅子の頭部を模様化したもの。兜 (かぶと) の目庇 (まびさし) の上や鎧 (よろい) の肩、火鉢の脚、だんじり(山車)の屋根飾りなどの装飾に用いられているもの)です。

これこそ鬼面文鬼瓦の祖先と思われるキールティ・ムカ(サンスクリット語で「誉れの顔」)ではないでしょうか。制作した鬼師がどこまで承知していたかは、別です。(拙著『鬼瓦のルーツ 写真紀行―韓国、中国、カンボジア』参照)

こんな現代彫刻風の鬼瓦も載っています。

(島根県益田市  医光寺 本堂 大棟 東)

なお、「敷台(式台)」とは、武家屋敷で、表座敷に接続し、家来の控える部屋。中世では日常の住宅の出入口をさしました。室町時代から江戸時代の初めにかけて玄関が普及すると,主殿あるいは大広間と、遠侍(とおざむらい)あるいは玄関との間にあって、取次ぎの儀礼が行われる場所をさしました。

獅噛み(しがみ)鬼瓦の典型を、次回、ご紹介します。